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ナッジにおける介入の強度とインセンティブ

ナッジには、「経済的なインセンティブを用いない」ことが暗黙に含まれていることも多いです。経済学的なインセンティブとはお金・報酬を提供することを指し、行動変容の文脈では例えば、「運動をすることでお金がもらえる」ということです。本サイトのナッジの解説ページでは、この経済学的なインセンティブについては触れてきていませんが、行動変容という大きな枠組みを考えた際に、金銭などの報酬つまり正のインセンティブや、罰金などを伴う逆(負の)インセンティブも重要な位置づけを示すので、ここでは介入の強度や行動経済学・ナッジ×インセンティブの例を紹介します。

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「介入のはしご」(健康づくりのためのポピュレーションアプローチの効果の大きさを整理したフレーム)

行動変容を促す際の強度に関しては、Nuffield Council on Bioethicsが2007年に発表した「介入のはしご」が有名です(図1)[1]

図1「介入のはしご」(英国公衆衛生白書と英国上院委員会の報告書より作成[1]

介入のはしご
レベル1 選択させない
レベル2 選択を制限する
レベル3 逆インセンティブにより選択を誘導する
レベル4 インセンティブにより選択を誘導する
・金銭的あるいはその他のインセンティブにより、人々をある行動をするように誘導する
レベル5 デフォルトを変えて選択を誘導する
・より健康的なデフォルトを選択肢として、人々が選択しやすいようにする
レベル6 選択を可能とする:選択を可能とするよう環境を変えるなど
レベル7 情報を提供する:教育・啓発普及
レベル8 何もせず現状をモニタリングする

※介入レベルは「レベル1で最も高く、レベル8で最も低い」

介入のはしごでは、「レベル1=選択させない」という非常に強度な介入から、「レベル8=モニタリングのみ」と介入の強度・侵襲度が8つのレベルに分かりやすく分類されています。介入強度が強くなればなるほど、個人の自由の侵害が高まりますので、大きな介入の効果・実施する正当性が求められます(比例性)。これまでに説明してきたナッジは、多くはレベル5~7に相当します。行動経済学・ナッジの視点はレベル5~7に相当する介入手法に工夫が出てきたこと、種類が充実してきたことに貢献していると考えられます。介入強度が低いだけではなく、大きな予算、コストがかからないということも前述のとおり、重要視されることもあります(一部、介入強度を上げたり、大きな予算をかけたりすることはナッジと対比して、shove=突き飛ばすと呼ばれることもあります)[2]

もし、予算がある、さらに強い介入が求められる場面においては、さらに正のインセンティブや負のインセンティブ(逆インセンティブ)を行動経済学・ナッジの考え方と組み合わせて、効率的に行動変容の効果をより増大させることにも期待されています。

インセンティブによる効果

ナッジ×金銭的インセンティブの効果(コミットメント)①

運動習慣を定着させるために、ナッジと金銭的インセンティブを組み合わせて相乗効果を発揮した研究があります。この研究では、会社員のフィットネスジムへの参加継続率向上を目的として、1ヶ月間の運動プログラムに参加する度に$10キャッシュバックすることの効果を検証しました。

「運動プログラムに参加する度に$10キャッシュバックするのみ」の群と、加えて「2週間に1回はジムに必ず通うことを自己宣言(=コミットメント)した」群の、キャッシュバック期間終了後のジム参加継続率を比較したところ、前者では2年後には継続率がほぼ0%まで減衰してしまったのに対して、後者では2年後に2~3%の人は継続してジムに通っており、3年経っても通い続けていることが明らかとなりました[3]

ナッジ×金銭的インセンティブの効果(フレーミング効果)②

金銭的インセンティブを与える方法にもナッジが活用されています。

同じ金額のインセンティブ(総額)について、日々の歩数目標が達成する度に支給する場合($1.4/日で課金され合計$42になる利得フレーム)と、目標達成できなかった場合に、最終的にもらえる金額が減額する場合(予め$42を前払いし、$1.4ずつ差し引かれる損失フレーム)の目標達成率を検証したところ、損失フレームの方が歩数目標達成率は高く、インセンティブの付与期間が終わっても目標達成率が持続していました[4]

ナッジ×社会的インセンティブの効果(社会的比較)

正のインセンティブの中には金銭的インセンティブではなく、非金銭的インセンティブもあります。様々な要素がありますが、主に内発的な動機付けとして代表的なものとして「社会的インセンティブ」があります。これは、「ナッジを効果的に使うためのポイント」で紹介した「社会的選好」に近い意味で使われます。例えば、家族が運動について推奨したり、見守ったりする「社会的サポート」。チームを作った中で競争するような「社会的比較」などが運動促進に用いられています。いわゆるランキング機能に近いです。

また、単純に自分自身の歩数が情報提供されるよりも、以下のように、グループ内のランキングや他者の歩数分布を記した度数分布表を合わせて歩数情報が提供されるほうが、歩数が増加していました[5]

「あなたの○月○日から×月×日までの一日当たりの平均歩数は□□歩でした。歩数データの転送が完了された方は△人でした。その中で、あなたは◎◎位/△△人でした。引き続いて歩いて健康づくりしていきましょう!」

アンダーマイニング効果

インセンティブの活用にも注意が必要です。自分自身の達成感や満足感を得るために何か物事に取り組んでいたところに、金銭的インセンティブが発生すると、その後は自発性よりも「報酬を受けること」が目的になってしまい、結果として本来の自発性が失われてしまいます。

このように、本来は好奇心や喜びといった「内発的動機づけ」によって行動していた相手に対し、報酬や褒美といった「外発的動機づけ」を提示した結果、当人のモチベーションが低下してしまう心理現象のことを、アンダーマイニング効果と言います(図2)。

図2 アンダーマイニング効果[6]より転載

アンダーマイニング効果


介入方法の工夫とエビデンス(実装科学)

本項では、介入の強度、インセンティブを含めた考え方をご紹介してきました。最後に最近注目を集めている「実装科学」についても少し紹介させていただきます。

医療・健康領域にかかわる医療従事者が他職種や患者、地域コミュニティなどの多様なステークホルダーと協働して、エビデンスに基づく介入(Evidence-based intervention:EBI)を「現場にいかに落とし込むか」=「どのように実装するか」という落とし込み方・方法論を含む、比較的新しい学問領域として、「実装科学」に注目が集まり始めています。日本においては、国立がん研究センターのメンバーを中心とした「保健医療福祉における普及と実装科学研究会」(D&I科学研究会:The Research Association for Dissemination and Implementation Science in Health;RADISH*)が多くの資料を日本語で作成しており、行動経済学・ナッジを検討する際にも、現場に実装する少し違った視点を提供されるので、参考になるものが多いです[7]

実装科学の第一人者のRinad S. Beidas らが提唱した地下鉄モデルは、実装科学の意味を教えてくれます(図3)。介入効果が明らかでない場合は、小規模なパイロット試験から開始して有効性(efficacy)を示す必要があります。また、介入効果が明らかであったとしても、実際の現場は介入研究での理想的な環境とは異なるため、現実的な条件下で検証されていない場合には有効性(effectiveness)を現実的な条件で示す必要があります。有効性が示された介入方法は、「現場にいかに落とし込むか?」という実装の方法論の研究対象となります。この地下鉄モデルは、意思決定者に役立つ考え方だと想定されます。

実装科学と行動経済学・ナッジは非常に近い関係にあり、実装科学の一部として行動経済学で得られた視点を活用したBehavioral economic implementation strategyとして活用することもあります。今後さらに学術領域を広げた介入方法が開発されてくると考えられます。

医療・健康領域にかかわる医療従事者のみならず、行政や、民間企業担当者はより幅広い学術領域に視野を広げ、よりよい国民の健康増進に寄与することが求められていると考えられます。

図3 介入が今どの段階にあるかを確認するフロー(改変版)[8]より転載

介入が今どの段階にあるかを確認するフロー


(最終更新日:2024年03月26日)

水野 篤

水野 篤 みずの あつし

聖路加国際病院 医療の質管理室 室長

2005年京都大学医学部卒業、2007年より聖路加国際病院。2017年よりQIセンター副センター長。2020年ペンシルバニア大学内科学講座客員准教授。2022年より聖路加国際病院医療の質管理室室長。専門は循環器、研究手法、医学教育、行動経済学。

参考文献

  1. Nuffield Council on Bioethics. Public Health: Ethical Issues. (Nuffield Council on Bioethics, 2007).
  2. The Behavioural Insights Team(BIT:英国ナッジ・ユニット)「What’s better, a nudge or a shove?」
    https://www.bi.team/blogs/whats-better-a-nudge-or-a-shove/
  3. Royer H., et al. Incentives, Commitments, and Habit Formation in Exercise: Evidence from a Field Experiment with Workers at a Fortune-500 Company. Am Econ J Appl Econ. 2015. 7(3): 51-84.
  4. Patel MS., et al. Framing financial incentives to increase physical activity among overweight and obese adults. Ann Intern Med. 2016;164(6):385-394.
  5. 石原卓典ら「情報提供と社会的比較による活動量の行動変容 -けいはんな学研都市におけるフィールド実験-」(京都大学大学院経済学研究科 ディスカッションペーパーシリーズ)
  6. 中島 亮太郎「ビジネスデザインのための行動経済学ノート」翔泳社(2021年)
  7. 「保健医療福祉における普及と実装科学研究会」(D&I科学研究会:RADISH)
    https://www.radish-japan.org/resource/
  8. 医学界新聞「実装科学でめざすEBMの次の一手 エビデンスに基づく介入を現場に根付かせるには」医学書院(2021年)