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ナッジとは

がん検診や特定健診の受診率向上、特定保健指導の場面における運動習慣や食習慣の獲得など、自治体の職員や保健師などの専門職は様々な方法で受診勧奨や行動変容を促す努力を試みています。しかし、「健康無関心層」といった健康行動に興味がない人などをはじめとして、実際に人の行動変容を実現させるのは難しいと感じている方は多いと思います。このような「行動」に関する課題の解決策の一つとして注目されてきたのが「ナッジ」・「行動経済学」です。

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ナッジとは

ナッジとは、人間の性質や行動原理に基づき自発的に行動するきっかけを提供する手法であり、2008年に米国の経済学者リチャード・セイラー教授と法学者であるキャス・サンスティーン教授らの書籍「NUDGE 実践 行動経済学 完全版」により一躍有名になった理論です。

本来は、「相手をひじで突く/そっと押す」という意味を表しますが、比喩的に「相手の行動に関してそっと変更を促す」ことを表すようになりました。ナッジのより明確な定義としては「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャのあらゆる要素」とされています[1]

行動経済学

ナッジの背景には「行動経済学」を中心とした学問体系があります。行動経済学は経済学(特に古典的経済学)に心理学などを融合させたものと考えてもらえばよいです。古典的経済学では、一般的に合理的な人間を想定していますが、実際に人は意思決定・行動するときにそんなに「正しく=合理的に」行動できるわけではなく、心理や感情的な側面に左右されます。このような非合理的な意思決定の体系化した学問として理解していただいて構いません。実際に「行動経済学」の定義として「合理的経済人の前提を置かない経済学」という表現を使うこともあります[2]

このような非合理的な人間の行動や意思決定の特性に着目して、選択の自由を保障したうえで、

「望ましい行動」を科学的に後押しすること≒ナッジ

と認識されていることが多いです。このように「ナッジ」の定義は非常に幅広いものとなることが多く、行動経済学の専門家からみると少し適切ではないと考えられることもあるので、学術領域では「ナッジ」の用語自体は慎重に使うべきですが、本サイト記事においては、細かい違いには多少目をつぶりながら、分かりやすい理解のために広い概念で「ナッジ」を取りあつかうこととします。

ナッジの活用例

それでは、少し親しみやすくするために、ナッジの活用例を2つほど紹介します。

活用例①

新型コロナウイルス(COVID-19)流行初期に、店舗のレジに足跡マークのシールを貼ることで、ソーシャル・ディスタンスが順守されやすくなった事例があります(図1)。

人と人との物理的な距離として2mとることが、COVID-19の感染予防対策として有効だとされましたが、2020年の流行初期には、なかなか市民に浸透させることができませんでした。そもそも、一定の物理的距離「2m」といってもピンとこないかと思います。ナッジをいち早く導入した兵庫県尼崎市の商店街では、店舗のレジに足跡マークのシールを設置することで、購買客に「ここに立って待てばよいのか」と意識させることで、本人にとっては無意識のうちにソーシャル・ディスタンス行動を誘導することができました。

図1. ナッジの活用例①(足跡マークによるソーシャル・ディスタンスの誘導イメージ[PIXTA])

足跡マークによるソーシャル・ディスタンスの誘導


活用例②

地下鉄の駅の階段をピアノの鍵盤デザインにすることで、エスカレーターよりも階段を選ぶ人が増え、身体活動量を増加させる可能性を示した事例があります(図2)。

「どうやったら駅の利用者はエスカレーターではなく階段をもっと使ってくれるだろうか?」という課題に対して、スウェーデン・ストックホルムにある地下鉄の駅では、階段をピアノの鍵盤に見立ててデザインし、階段を上がると、実際に音が奏でられるような工夫をしました。その結果、普段よりも多くの人がエスカレーターではなく階段を利用するようになりました。

図2. ナッジの活用例②(ピアノ音が出る階段による活動量増加)[3]より画像引用

ピアノ音が出る階段による活動量増加


このようにどちらのナッジの例においても、普段立っている、歩いている場所にシールや絵があるだけで行動が「望ましい方向」に後押しされていることがわかるかと思います。一人一人に強制しているわけではなく、自発的に選択できることもポイントです。

ナッジの学術的な研究動向

医療・健康領域におけるナッジに関する研究論文は年々増加傾向であり、医学文献データベースPubMedの検索結果では、2022年に発行された論文だけでも379件が掲載しています(図3)。また、厚生労働科学研究成果データベースにもナッジに関連する研究成果が複数報告されており、その研究成果を活用した公的な研究機関による受診勧奨などの媒体やリーフレットも公開されています[4][5]

このように、医療・健康分野におけるナッジのエビデンスや実践事例は広く蓄積されつつあり、現場での活用がますます期待されています。

図3.「ナッジ」に関する医学研究論文数の推移[6]をもとに作成

「ナッジ」に関する医学研究論文数の推移

※研究論文検索サイト「PubMed」での検索キーワード「Nudge」のヒット数



(最終更新日:2024年03月26日)

水野 篤

水野 篤 みずの あつし

聖路加国際病院 医療の質管理室 室長

2005年京都大学医学部卒業、2007年より聖路加国際病院。2017年よりQIセンター副センター長。2020年ペンシルバニア大学内科学講座客員准教授。2022年より聖路加国際病院医療の質管理室室長。専門は循環器、研究手法、医学教育、行動経済学。

参考文献

  1. リチャード・セイラー & キャス・サンスティーン. 実践行動経済学: 健康、富、幸福への聡明な選択. (日経BP出版センター, 2009).
  2. Ogaki, M. & Tanaka, S. C. What is behavioral economics? in Behavioral Economics 3–22 (Springer Singapore, 2017).
  3. Volkswagen.The Fun Theory 1 – Piano Staircase Initiative
    https://www.youtube.com/watch?v=SByymar3bds
  4. 帝京大学大学院公衆衛生学研究科「ナッジを応用した健康づくりガイドブック公開のお知らせ」
    https://www.nudge-for-health.jp/2023/01/news197/
  5. 希望の虹プロジェクト「ソーシャルマーケティングを活用したがん検診の普及プロジェクト」
    https://rokproject.jp/kenshin/
  6. 株式会社NTTデータ経営研究所「一人ひとりのwell-beingを実現するデジタル時代のヘルスコミュニケーション」
    https://www.nttdata-strategy.com/knowledge/reports/2022/0916/