近親者から自殺念慮を告げられるのは苦しい経験です。1人で抱え込まず精神保健福祉センターや保健所等で相談してみるとよいでしょう。自殺未遂となった場合には、専門家のアドバイスが受けられる状況が必要です。不幸にして自死遺族として遺された場合には、その悲嘆過程を支える場としての自死遺族の自助グループ・支援グループへの参加が力になりますが、悲嘆過程が長期化・複雑化した場合には、さらに医療的支援が必要になります。
死にたいと思う気持ちは誰にとっても重たいものです。三人称つまり直接関係のない人が、自ら命を断ちたいという気持ちを持っていることを知ったとしても、私達はやめて欲しいと願うでしょう。あるいは逆に、その重い気持ち故に「考えたくない」と耳をふさぐかも知れません。しかし二人称つまり近親から死へ向かう気持ち=自殺念慮を告げられた時には、耳をふさぐことは簡単ではありません。不安・心配、あるいはこちらの気持ちが通じないことでいらだちを感じて疲れてしまい、時にその苦しみから「逃れたい」と考え、そのように乱れる心自体がさらに苦しみの源になってしまいます。
身近なものの自殺について考えるつらさ、そしてそこから逃れたいけど逃れられない気持ちは、多くの人が共通して感じるものです。私達はそのことを認めたうえで、次に何ができるかを考える必要があります。精神保健福祉センターや保健所で実施されるこころの健康相談など、専門家の意見を参考にしながら、問題を整理していくことが有効な場合が少なくありません。
不幸にして近親が自殺に及ぶこともあります。救命救急センターなどで一命を取りとめ自殺未遂になったとしても、周囲のものには安堵とともに今後の不安がさらに強くなることもあるでしょう。自殺にいたった心の健康やその背景にある様々な問題の解決に取り組まなければなりません。そこでは先のような心の健康に関わる専門機関に加えて、法律・経済・福祉等の専門家の支援が必要になる可能性があります。さらに体に後遺症が残ることもあり、本人と周囲の負担はさらに増していくかも知れません。家族は十分な情報を集めるとともに、必要なサービスを受け、自らの健康にも留意する必要があります。
そして悲しいことに、年間3万件もの自殺があるのが日本の現状です。そのひとつひとつに近親者がいて、故人との関わりの経緯をもち、それぞれの悲しみの過程を辿り始めます。あらゆる関わりを拒絶してしまう否認、深い悲しみや怒りや悲しみ、逆にその場にそぐわないと自分で思えてしまう安堵や無関心を感じることもありますが、それらは正常な悲嘆過程の一部です。また深い関わりもつ近親者だからこそ、自責の念を感じてしまい、また自殺が起こった理由を際限なく問うこともあります。命日や自殺の報道をきっかけに悲しみが再現する、PTSDのような反応に苦しむこともあります。
この深い悲しみを乗り越えていく上では、周囲の理解が大切ですが、同じように自殺で遺された方が経験を分かち合う自死遺族の自助グループ・支援グループへの参加が支えになることもあります。まだ全国で40ヶ所足らずですが、地域の精神保健福祉センターや保健所で、その情報を知ることができるでしょう。なお悲嘆過程が長期化・複雑化した場合を、病的な悲嘆過程と呼びます。そのような場合は専門的な精神科医療を受けることも検討するべきです。